介護の仕事の中で、困難な事があると私によく相談してくる。
1つは身体介護の事について。
よく仕事仲間のヘルパーさん達が言う事で、介護をされる側所謂、利用者さん達が良く言えば個性的すぎる、悪く言えばわがままな態度に困ってしまうと言う悩み。
ヒトミちゃんも何回か経験した事があるようだ。
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利用者は身体が不自由な弱者、身障者の方が主なので、目をつぶりヘルパー側が我慢をする傾向にある。それはキチンと駄目は駄目と注意をする事が、なかなかの問題らしいのだ。
私は身障者でありながら介護を使用していない。
だから経験値からの意見は言えないが、私自身の意見を書いてみたい。
まず、介護する方は給料が出ているから、ボランティアでは無く あくまでも商売である事。
次に物を売るような商売では無く、相手が生身の人間自身だと言う事。
また 所謂 弱者の立場にある方々という大前提がある事。
つまり 介護と言う仕事は根底に善意と言うものがあるのだ。
そして 介護者もまた、人間だと言う事
以上が現実に大前提としてあるのだ。
私はそもそも国が定める介護と言う枠がこの問題を理解していないのではないか? と思う。
それは介護とは身体介護と心介護と二つの面から考え直さなければ行けないと思っている。
日本人は病院、医者に対して、身体の病気を治してくれる所と言う観念が非常に強くある。
しかし外国は心、身体と分けて治療をする所と言う観念が定着していると聞く。
日本もそこから見直さなければいけない所に来ていると思うのだが。
蔵八宝
私自身の経験から言えば、 初め慢性腎不全と診断され、すぐ透析治療へと進み自分自身 これからの仕事、生活パターン等 生きてくための根本を考える間も無く 週3回、1回5時間強の治療に入った。
治療になれる事、自分の現実環境を知る事など 理解する事が多すぎ、先の事など とてもじゃ無く解らなかった。
その時は所謂 落ち込むというか、多少鬱っぽくなり、家からほぼ出なかった。
そして何より 身体がしんどかった。
数ヶ月たち生活パターンになれてくると
当然ながら自己管理をするようになり、多少余裕が出てくる。
すると良い意味で透析治療中 いつもと違う不具合などを看護師に伝えたりするようになる。
そんな中で私はいつも 自分に我慢と忍耐を心得ていた。
なるべく手をかけない様、ただ普通に治療をし帰ってくる。
多少の事は我慢して暮らして行こうと生きてくラインを作った。
しかし中には当然ながら私と真逆な考えを持つ人が沢山いた。
我慢をせず、気分が悪い時は気分が悪いと、イヤな事はイヤと感情を表に出すというライン。
何故なら私は病人で弱者だと、自覚をさらけ出す事によって自分を支えてる人。
つまり 同じ環境に置かれていても人それぞれ生きていくゆえの、支えのみいだし方、やり方が違うという事だ。
その事を国、介護者が良く理解し 身体介護専門知識の資格を持った介護者と、それに伴うサービス内容のボーダーライン。
また心の介護専門知識の介護者を育成し、両方で介護にあたるシステムをいち早く作らなけいけないと思う。
病と共に生きるという事は身体、心と同比率の落ち着きが必要だと強く感じるからだ。